Tag: 人生

  • 欲しいと望めることも能力なのではないか

    欲しいと望めることも能力なのではないか

    ここのところ少しやる気が低下しています。このような時は、自分に気合いを入れる意味でも自己啓発系の本というのは有効だったりします。

    本を読んで自分のやる気を奮起したり、今の自分の置かれている状況を振り返ったりするわけですが、それでもそれらの本の全ての内容が受け入れる訳ではありません。

    自分として理解できるけど自分にはなかなか難しいなと感じることに「大きな夢や目標を持つ」ということがあります。

    よく自己啓発関連の書籍を読むと「人は自分の本当に望んだものなら得ることができる。大きな野望を持てば大きな夢が叶うし、小さなことを望めば小さなことしか叶わない」といいたことが書いてあったりします。

    これを読んでうーんとなってしまうのです。

    私は子供のころから家庭環境にあまり恵まれなかったのもあって、あまり選択肢がある人生を送ってきたとは言いがたいのです。

    学校も特定の公立の学校に行けなければ、進学もできない状況でしたし、就職するときも自分がやりたいことよりも経済的な自律がまず優先でした。ゴール設定が人並みになることだったのです。

    結果、マイナスをゼロにすることにはエネルギーは注げるけれど、ゼロの状態から自己実現のためにプラスにもっていくみたいなことが未だに苦手なのです。

    今置かれている環境で辛いことがあっても辛抱強く我慢できるけれども、そこが楽しそうであってもレースがしかれていない道を選択できないのです。

    だから、もし私が読んだ本のように「人生は自分な望んだ大きさに比例して、得られるものが決まる」のが本当だとすれば、その大きな夢を望む力そのものも私には天賦の能力のように見えます。

    すくなくとも大きな志をもっている人は、その情熱で人を巻き込んでいけるから、願い可能性は高くなるかなと。

    私にはそういう能力がない。ですが、少なくとも私が読んだ書籍には、それに対する答えは載っていなかったのです。

    今週の気になっている本

    当ブログでは、割と頻繁に論理的思考には限界があるということを書いていたりするのですが、こちらの本は自分が感じていたことをドンピシャで言い当ててくれています。

    人間の理性と感性が衝突したとき、必ず勝利するのは感性です。本書では、それを美を学ぶことにスポット当てて解説してくれています。

    今日のアクション

    なんか今日のエントリを読むと、私が夢も希望のもない人のように見えそうですが、決してそんなことはなく、ふわっとした夢とか目標とかはいろいろあります。

    ただ、ふわっとしていたり、小さなことだったりするのでそこら辺が自己啓発系の人と考えがあわないのです。元気を出すつもりで読んだのですが、かえって考え込んでしまいましたというお話でした。ß

  • 自分の短所とどう付き合っていくべきなのか

    自分の短所とどう付き合っていくべきなのか

    私自身はどうしても自分の長所よりも短所のほうに目がいってしまうほうです。

    すこし前に、自分でも情けなるような失敗をしてしまいまして。正直、かなり凹んでおります。

    私の場合、部屋の片付けとか、モノの整理とか身の回りのことをするのがものすごく苦手でして。それが困じて結構な頻度で大事なものを壊したり、無くしたりしてしまいます。

    今回もそんな感じの失敗です。

    ある程度は改善するようにしてはいるんですが、未だにときどき大きくやらかしてしまうことがあったりします。

    自分の弱点みたいなものはよく分かっているつもりでして。自分なりに受け入れて生きているつもりなのですが、やはり実際にそれが元でトラブルがおこってしまうと凹んでしまうわけです。

    今も「なんて情けないんだ。だからお前は駄目なんだ」と心の声が響いています。多分しばらくはこの声は鳴り止みそうにありません。

    こう自分がだらしないことに起因して起こるトラブルの場合に、自分の心の中で言い訳を作る余地がないので、より辛いところであったりします。

    私の友人には、自分の弱みは気にせず、自分の強みを活かして行動せよという人が沢山いて、それはとても正しいのですが、いざトラブルが起きてしまうと気にしないことはやはりできず…

    そもそも自分には長所なんてそんなにないしと、他の部分も否定してしまったりと散々です。

    これから先の人生もこの自分に嫌なところを抱えながら生きて行かないと考えるとかなり気分が沈んでしまいます。

    今週の気になっている本

    無意識や潜在意識の話題に触れている本というのは心理カウンセラーの方やスピリチュアル系の方が書かれていることが多いのですが、こちらの本の著者はなんとロボット工学が専門の研究者の方です。

    著者が宗教や合気道など無意識を大事する4つの分野の方と対談する形式で書かれていて、科学的な視点とスピリチュアル的な視点が噛み合った深みのある本となっています。

    今日のアクション

    自分の短所というのはなかなか直らないので、できるだけ自分の長所を伸ばす方向で生きて行きたいのですが、それができること自体が一つの長所なのかもしれません。

    そもそも私の場合、自分の長所がなんなのかはっきりと自覚できていないのですが。

  • なにかにすがっているうちは物事は解決しない

    なにかにすがっているうちは物事は解決しない

    人間はうまくいかないことがあると何かにすがりたくなるものでして。それが時には宗教であったり、心理学的なことあるいはもっと身近に部屋の片付け、いわゆる断捨離であったりと人によってもいろいろなんだと感じています。

    かく言う私自身、自分が弱気になっていたり、うまくいっていないときは、何かにすがりたいといつも考えてしまいます。

    ただ、最近感じるのは、うまくいかないとき特定の何かにすがるだけではうまくいかないということです。

    人はどうしても物事を単純かして理解したがります。私のアレがよくないからこういう結果になったみたいな思考に陥りがちです。

    ですが、本当にそうでしょうか。

    きっとその最悪の状況に至る前には、日々の小さな選択の繰り返しがの結果が複合的に積み重なっておきているはずなのです。そして、複合的な要素で起こったことを解決するのに万能の妙薬のようなものはなかなかないはずなのです。

    何でも解決できる万能杖はないと肝に銘じること、そして緩やかな軌道修正を繰り返すことでしたか、うまくいかないときの状況の改善はないと感じています。

    今週の気になっている本

    なんで今日こんな記事を書いたかというと、こちらの本が気になっているからです。近年、いろいろな研究結果から平均が結構あてにならないということが分かってきているそうです。

    この平均を重宝する思考っていうのは、まさに物事を単純化する典型例だと言えます。平均は確かにわかりやすい思考ですが、自分をそんなものに当てはめたくないみたいな気持ちも当然あるわけで。

    とりあえず、平均にしろ、占いにしろ、性格診断的なものしろ適度な距離感をもって付き合うということが一番大事な気がしています。

    今日のアクション

    こんなことかいていますが、私自身、やはり自分を平均の中に物事を当てはめて考えがちです。やっぱり人はそういう思考からは簡単には抜け出せないのかもしれません。

  • 年を一つ重ねるので30代を振り返ってみる

    年を一つ重ねるので30代を振り返ってみる

    私は今書いているこのブログ記事を公開して一息ついたくらいの時間が経つと誕生日を迎えます。今度の誕生日は30代の最後の誕生日です。

    振り返ると30代は、理想と現実の板挟みにあってもがいた末に自分と向き合うことになった時期であったと感じるのです。

    理想と現実の狭間で目標を見失う

    私は20代のころの自分を振り返ると、自分の中の理想の30代の姿が存在していて、それを目指してがむしゃらにあがいていたという記憶があります。

    仕事の上ではあこがれる先輩がいて、こういう風にバリバリ仕事をこなしていきたい。あんな風になりたいと本気で考えて仕事をしていました。

    ですが、30代に入り自分の意図しないとところで部署を異動したり、役割が変わったりして自分が目指している姿には、なかなかなれそうにないという現実が突きつけられます。

    燃え尽き症候群とまではいかないかもしれないですが、仕事の上での目標は完全見失ってしまいました。

    ブログとの出会い。そして更なる壁…

    完全に目標を失って精神的にはかなりフワフワしていた自分の目の前に現れたのがブログでした。

    当ブログでは何度も書いている通り、私は震災がきっかけで「わかったブログ」を読むようになりました。そして、自分でもブログを始めることにしました。

    ブログを始めると同時にイベントに積極的に参加。様々なブロガーさんと交流するなかで、普通にサラリーマンをしているだけでは得られなかった物の見方、考え方をできるようになってきました。

    ですが、ブログを真剣に書いていけば行くほどに、もう一つの大きな壁にぶち当たります。自分はそもそも何がしたいのかという問題です。

    当時ブログで知り合った仲間たちは、夢やミッションをとても大事にしている人が多かったです。彼らと交流するにつれ

    一体自分は何がしたいのか。仕事の上での目標を失っていた自分にとっては考えるのも辛い問題でした。

    自分には、夢や目標がない。そんなことに負い目を感じつつ悶々とブログだけは更新しようと決めていました。書き続ければ何かが見えてくるかもしれないという願いでした。

    Kindleを通して読書を思い出す

    そんな私にとって大きな転機は、 Kindleとの出会いでした。厳密に言えば、 Kindleとの出会いというよりも Kindleを通して自分が本を読むという習慣を取り戻したことにあります。

    私はもともと本を読むのは好きで、高校時代は図書部に入って、学校図書館の雑務をしたり、図書館だよりを作ったり、読書会を開いたりということをしていました。私の高校時代はまさに図書館とともに合ったと言っても過言ではありませんでした。

    ですが、高校を卒業したあとは徐々に読書とも疎遠に。気付くと随分と本を読んでいませんでした。ですが、手軽に本を読める Kindleのと出会いが再び私を読書の世界に連れ戻してくれたのです。

    その後のイベントを開催したり、自分で電子書籍を書いたりしている私の活動については、ブログの読者の方は知っているところでもあるので割愛します。

    WordPressとITの原点へ

    もう一つの私に大きかったことは、WordPressコミュニティとの出会いでした。大学時代からIT関連の勉強をしているので、もう20年近くなんらかの形でこの世界に関わっているのですが、30代になってからは嫌になることが多かったです。

    先ほども書きましたが、自分が納得できる仕事ができておらず、目標もなくなった私にとって、ITの世界はもはや苦痛ばかりでした。

    ですが、WordPressコミュニティと出会い、オープンソースの世界を知ったことで私は再びITの世界って面白いと感じれるようになってきたのです。

    もともと、ITを学ぶきっかけになったのは、高校時代の先輩がPCをいじる姿をみてかっこいいと感じたというシンプルなことでした。みんなができないことをやれるのってかっこいい。ただそれだけでした。

    純粋にプログラムを動かして喜ぶ遊び心や、最新技術を知れる好奇心をいつの間にか失っていたわけですが、WordPressコミュニティを通じて、その気持ちを取り戻すことが出来ました。

    ありのままで生きる

    ブログを書き始めての大きな悩みは、自分がやりたいことがわからない、自分が何者であるかが分からないということでした。

    ですが、いろいろな活動をして気が付くことはその苦しみは今ある誰かのスタイルに自分を当てはめようと無理矢理しているからの苦しみだということが最近になってようやくわかって来ました。

    よく心理系の界隈などでいわれる「がんばらなくていい」「ありのままでいい」という言葉。私はわかったようなわからないようなと感じていました。

    ですが、ここに来てその本質は、今ある何か自分を無理矢理当てはめないということだと解釈できるようになってきました。

    ただし、それは決して手を抜くであるとか、楽をするという意味ではなく、自分が楽しめるスタイルを確立するという新たなスタートにたったに過ぎないということであると考えています。

    読書も好き、ITの世界も好き、最近では顔が広いなんていうこともよく言われます。それらを含めて自分らしいスタイルなんだと言えるのです。

    私はどこにいくのか

    こうして30代を振り返ると、だいぶ生きるのが楽になってきたという感覚があります。ですが、自分自身これからどこへ向かうのかはよく分かっていません。

    20代のころのように明確にこうなりたい40代の姿というものがあるわけではないのです。ただなんとなく今目の前にないものを目指しているのかもしれないと感じています。 Kindleだって、10年前には少なくとも日本にはありませんでした。WordPressも今ほどは知られていません。

    ただ、一つ大事にしたいのは、捕らわれず変化できること。

    自分が楽しいと感じたことにはもっと素直になれるようになりたいですし、自分はこれと何かにしがみつかずに柔軟に変化していきたいです。きっと世の中は私が考えるよりも早いスピードで変化していくはずなので。

    30代はあと一年残っていますが、今を生きることを大事にしてすすんで行きたいです。

    今後とも引き続きよろしくお願い致します。

  • 誰の中にだって破壊衝動はある

    誰の中にだって破壊衝動はある

    目の前の物事がうまくいかないときや、苦しいとき誰かに寄りかかりたい、うまくいかないことを誰かのせいにしたいという気持ちをもってしまうことがあります。

    この苦しみを誰かにぶつけることが出来れば、この怒りをそもまま外にぶちまけることが出来ればと考えます。自分の心の中に潜む破壊衝動のようなものがうずくのです。

    それは誰かに助けを請うこととは違う、だれかの心に寄りかかる行為と言えるのかもしれません。

    でも多くの場合、一時の感情に負けてそれをやってしまえばもし本当にそれをやってしまえばあとから確実に後悔してしまいます。

    こういうときに頭に浮かぶのが、漫画「幽遊白書」の中で主人公浦飯幽助が、魔族の王の力に覚醒して世界を破壊できるほどの力を手に入れたとき、師匠の幻海にいわれた台詞です。

    「人は自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってる

    おもちゃだったり ペットだったり 恋人だったり 家庭だったり 国だったりする

    お前はそれが人よりデカい それだけだ」。

    まさにこれだなと。いかに自分がなにも持っていないといっても、やはりそこに至るまでに人それぞれに大事なものをもっているのです。

    そもそも人とのつながりとか信頼関係なんてもろいものなんです。それがなんとなく分かっているから敢えて絆なんて言葉を使って強調したりする。

    もろいからこそ相手との関係性を大事にするし、相手に対して何ができるかを考えるようにする。そうすることで時折おそってくる自分の中の破壊衝動を抑えているのかもしれません。

    今週の気になっている本

    もうなんか私は公私ともにAmazonに関わることが多く、もはやAmazon無しでは生活できないところまで来ていると感じています。ただ、生活のライフラインを一つの企業に握られる不安も当然あるわけで。

    東洋経済でAmazonの特集をやっていたので気になって購入しました。これからAmazonはどこへいくのかが気になる方にはおすすめです。

    今日のアクション

    苦しいとき、心の中で自分のことを被害者だと定義しそうになることが私にはあります。きっとこういう弱い気持ちと折り合いをつけて行くには強い精神力が必要だと感じるのです。

  • 人生とは感情を味わい尽くす旅なのかもしれない

    人生とは感情を味わい尽くす旅なのかもしれない

    私はどちらかというとプレッシャーやストレスには弱いほうだと感じています。締め切りに終われたりするのは大嫌いだし、人間関係でもめるなんというのはまっぴらごめんです。

    物事が永続的にうまくいくということもあり得ないので、常に最悪の状況を想定して行動するということが多いです。このネガティブな性格が人生のいろんな局面で自分を守ってきたのは間違いありません。

    常に最悪と想定するからリスクヘッジをするように行動を取るし、ある程度物事は悪い方向にいっても最悪を想定しているので、自分で抑止が効かなくなるほどは落ち込むこともありません。

    ただ、こういう思考が身についていると時々ふと感じることがあるのです。「何をしても、心の底から喜べないし、楽しめない」と。

    マイナスの状態をゼロにするように、迫りくる不安要素をつぶしていくことには躍起になれるのに、ゼロの状態からプラスの状態に自分の精神状態を持って行くのが極端に苦手です。どんなに楽しいことをしていてもどこか一歩引いて醒めた目で物事を捉えてしまう自分がいます。

    最近、常々考えることは、人生って感情を味わい尽くす旅なのではないとということ。出来れば喜びばかりを感じていたいけれど、時には絶望的な感覚を味わうかもしれない。

    それでもそれを乗り越えてまた喜びを感じていくためにあがくこと、またそこまでたどり着くプロセスも含めて人生なのかとと感じています。結局人間はいつかは死ぬのですから。

    そういう意味では、私の今の物事の感じ方、捉え方はあまり健全ではないかもしれないと感じるのです。

    今週の気になっている本

    以前、とある方からビジネスをする上では、世界観を作る人と世界観を広める人が別々にいたほうがうまくいくという話を聴いて、なるほどと感心したことがあります。

    こちらの本はまさにそういうことをテーマに書かれているようで、かなり興味が持てます。私の知っている方の中には二人で君で成功されている方もいますし、私自身、人と組んでイベントなどをすることもあります。

    人とチームを組む上でどういう人と組めばいいのかを考える上で参考になりそうです。

    今日のアクション

    まぁ ようするにもうちょっとポジティブなったほうが人生楽しいのだろうなと感じています。なかなかに難しことではあるのですが。

  • 内向きのノリに抗らう感性が必要だ

    内向きのノリに抗らう感性が必要だ

    ブログを長いこと書いていると、それなりに知名度が上がったり、仲間が出来たりします。それはブロガーとして活動する上で財産であり、エネルギーの源泉になります。ある意味そういう環境を手に入れるためにブログを書いている部分があるのは間違いありません。

    ただどうしてもそういう環境に長くいると居心地がよくなって、自分の身内のみに通じる言葉、いわゆる内輪のうけを狙いたくなる部分があります。いわゆる身内だけのあるあるというヤツです。

    内輪ノリの受けって気持ちいいんです。途中の面倒くさいプロセスを排除して、話して楽しい部分だけで周りの人がうなずいてくれます。人は共感を求める生き物だから、親しい人との飲み会の席でくらいならそれでもいいのでしょう。ですが、ブロガーとしてはそれは致命的だなと感じるのです。

    インターネットの世界では特に人とかぶっていないことが求められます。そして、人に読まれる文章を書く以上、最低限内輪だけで受ける文章は避けなければならないし、内輪でのネタを書くなら最低限分かりやすい解説をつける必要があります。

    ただ、内輪受けを避けて、自分だけの感性を発揮しようとするとどうしても孤独感や疎外感、ある種不安感が伴います。自分のやり方はこれでいいのか、これで伝わるのか、そして、自分の居場所はどこにも無いかもしれないという寂しさ。

    表現者は孤独というのはよく言う話ですが、別に有名な作家さんが言う高みのレベルでなくても、私のような凡人がブログ記事を書くときでされ、内輪のノリを排除しようとすれば孤独感が伴います。

    どこに属しても、どこにも属していないような感覚。おそらく自分の文章を書く、あるいはコンテンツを作るとは本質的にそういう行為なのだと私は感じています。

    今週の気になった本

    ちょっと、今週知って衝撃を受けている本です。簡単にいうと生まれつき決まっていると言われている遺伝子の組成は、結構簡単に後天的に変化するという話です。学術的にはわりとこれが一般的になりつつあるとのこと。

    また遺伝子の影響で親のトラウマが子供に遺伝するケースがあるなど、結構ショッキングなことが書かれているようです。近いうちに是非チェックしたいと考えています。

    今日のアクション

    なんか、わりといろんなところにいると言われる私なのですが、裏を返すとどこにいってもそこに染まりきれないという裏返しでもありまして。なんでかなと考えていて、気がついたことを記事にしてみた次第です。

    やっぱりブロガーを続けるには人に迎合せずに、自分の道を進めるのが重要なので。

  • 指示待ち人間と自主性の間にある違和感

    指示待ち人間と自主性の間にある違和感

    この時期になると、様々なメディアに「今年の新社会人は指示待ち人間が多い」みないな記事がよく出てきます。ですが、私は個人的にこのような論調が大嫌いです。

    なぜなら、日本の社会では、本質的に多くの人は心のどこかで、指示待ちの人のほうがいいと望んでいるのではと感じる場面が多いからです。

    そもそも日本の社会では指示待ち人間であるほうが得なこと多いです。日本人の特質なのかもしれませんが、私の中にも、誰かの指示でやったということで、(間違ったことであっても)自分の責任が軽くなる、免罪符のような気持ちがあります。

    福島の原発の問題にしろ、某大手企業の不正会計の問題にしろ、おそらく現場で携わっている人はうっすらと問題を感じとっていたはずです。

    ですが、指示だからしかたないと罪悪感に免罪符を与えて、日々仕事をこなしていたのではないかと感じています。そして、社会の側もなんだかんだでそういう人を望んでいた。

    影響力のある人間が発した意見によって、世論が一気にそちらに傾くという社会の状況をみても、誰かの指示でやった(誰かの言うこと信じた)から間違ったことをしても許されるという感覚が日本人の気質の中にはあるような気しています。

    そこにそれを選択した自分はいないのです。

    しかし、自主的に動くということを真剣に考え出すと、人の指示で動くことが苦痛に感じることが増えてきます。

    誰の強制でもなくブログを書く行為を続けて来てわかったのは、自分のやっていることが誰かの依頼でやっていることなのか、それとも自分の意思でやっているのかということが明確に自覚せざる得ないということ。

    この状況になると、人の指示でやっていることに苦痛を感じる割合が高くなってくるのです。

    良い悪いは別として、日本の教育は自主的に動くことと誰かの指示で動くことの境界線を曖昧にしてしまう部分があるのではないかと感じています。

    そもそも本当の意味で指示待ちではない人間でなく、自分の考えで動けるような人がいたとして、そういう人を徹底的にパッシングするのが日本人の特性なのは間違いないはず。本質的には「空気を読め」という言葉は「指示待ち人間になれ」と似たようなものだと感じています。

    本質的には従順な人間を望んでいるのに、相容れない主体的な人間が望まれているような気がして、私はそこに矛盾を感じるのです。

    今週の気になっている本

    最近、長く読み継がれいるロングセラーの本やいわゆる名著といわれる本がたくさん Kindle化されています。それれの本を読むと、有名なあの言葉や考え方はここから来ていたのかと今更驚くことがあります。せっかく Kindleで手軽に読書が楽しめるのですからそういう本はどんどん読みたいのですが、私はそういう本がなんのかを知りません。

    という訳でまずは世界の名著でどんなものがあるのかを知ることからはじめています。

    今日のアクション

    新社会人の人たちには、今年の新社会人は○○みたいな感じで、煽って書かれている記事など気にしないで欲しいです。そういうことを言っている側の人は素晴らしい人とは限らないので。

  • ライフハックと情報発信は一体不可分だと改めて感じる

    ライフハックと情報発信は一体不可分だと改めて感じる

    当ブログは、一応読んでくれている方からはライフハックブログだと認識されていることが多いです。ブログを開設した当時、仕事上のコミュニケーションで猛烈に悩んでいた時期でもあり、ビジネス書などを読みあさったりしていたので、ある種なるべくしてなったと言えます。

    その時期から随分時間が経ち、情報発信を続けて今に至っています。私の個人的な感覚で言えば、ライフハックは発信することと、ワンセットでなければ成立しない分野です。

    ライフハック界隈では、今も仕事の効率をあげて生産性を向上させよう!とか、ストレスフリーで仕事をしようとかそういう話題で溢れています。もちろんこれらの技術は目の前に差し迫った仕事があるときに協力な武器になります。

    ただ、一方で生産性や効率だけを追い求めているといずれ必ずうまくいかなくなるとも私は考えています。極論してしまえば、生産性の向上や効率化は、誰かに使われるための歯車、もっと言えば奴隷の技術とも言えなくもないのです。

    結局はライフハックは与えられた課題を如何に効率的にこなすかというところに重きを置いた技術でしかありません。自分で主体的に仕事をコントロールしているとは言いがたい部分があります。

    やはりそれだけでは駄目で、自分だけしか出来ない仕事、ポジショニングを見つけることこそが最終的なゴールになってくるのだと感じています。

    ですが、そのために劇的な媚薬はなく、日々の習慣の改善、自問自答を繰り返すしかないように感じています。そして、そのための有効なツールがブログであるとも。

    最近、ブログで豚骨ラーメンの記事を書いていますが、自分は食に感心はあまりないと考えていました。ですが、実際ブログに書き始めると1食1食を無駄にしないように、積極的にお店をしら得ている自分がいます。

    ブログにアウトプットする前提があるから生活のクオリティがあがり、それが自分だけのポジショニングに繋がっていく。ライフハッカーこそ、ブログを書いてなんぼなだと改めて感じています。

    今週の気になっている本

    誰かに与えられた仕事をこなすだけでは、どこかで必ず行き詰まると感じる昨今。これからの世の中の行方も伺いつつ行動を起こして行きたいものです。

    今日のアクション

    実は、今日のブログ記事は、ブログの過去記事に触発されて書いた記事です。

    ライフハック止めます

    今から5年前に東京ライフハック研究会に参加したときの記事です。Lifehacking.jpの堀さんの講演が素晴らしかったのですが、今見返してみるとより深くその通りだと共感できる内容でした。

  • 僕はポジショントークをする人が苦手だ

    僕はポジショントークをする人が苦手だ

    世の中の常識とされていることが自分にとって苦手だと感じることがよくあります。私にとって嫌だなと感じるのは、ポジショントーク、いわゆる立場だから言っていると感じさせる人です。

    日本人にはこのタイプの人が多くて、普段は性格の良い人でも立場を持った途端に、攻撃的な性格になる人、自分の立場を得た途端に、自分より立場の弱い相手に対して横暴で尊大な態度を取る人が少なくないと感じています。

    昔はそういう人を自分の職務に忠実な人だと私は尊敬していました。ですが、いろいろなことを経験するうちに考えが変わってきました。多くの場合、そういう人というのは、自分の個の弱さから逃げるために、立場にすがっているだけだと感じるのです。

    そういう人を見ていると、貴方の考えはどこにあると問い糾したくことがよくあります。立場だから自分の振る舞いを決める人は、立場を失ったときどうするのだろうと感じるのです。

    私はかって、このポジショントークと本音で言っていることの区別がつかず、自分は本音を言っているのに、相手は立場だから言っているため話が噛み合わないという経験をしました。

    立場だから指示に従うという選択をした末に、多くの従業員を路頭に迷わせたり、歴史に残るような重大な事故を起こしてしまった大企業の幹部を私たちは何度も見てきたはずです。

    立場でものを言うことも大切ですが、今の時代は集団の論理に絡め取られない個の強さを持った人が求められている。私はそのように考えています。

    今週の気になっている本

    テレビ通販で一斉を風靡したジャパネットタカタの前社長、高田明氏の自叙伝的な書籍です。内容もさることながら、読んでいて感じるのはその前向きさです。まるで読んでいる側まで元気を貰える感覚になります。

    この明るさがあったからこそ、佐世保の小さなカメラ屋さんだった会社が日本有数に通販企業になって言える気がします。

    今日のアクション

    もちろん世の中にはポジショントークが必要な場面というのもたくさんあるし、私自身もときにポジショントークをしていることがあります。ただ、それでそもそも自分の考え方がなんなのか分からなくなるのは避けるべきなのだろうと考えています。