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人と比べてしまうという呪いから解放される方法〜【読書レビュー】反応しない練習

一時期よりだいぶよくなりましたが、私は随分と人の目を過剰に気にするほうです。こんなことを言ったら駄目ではないかとか、自分は馬鹿にされているのではないかといったことにビクビクしています。それが事実なら良いのですが、多くの場合は考えすぎでした。

なぜ、そこまで過剰に人目を気にしてしまうのか。その原因は行き過ぎた承認欲求だったのです。

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

私は仏教にとくに興味はなかったのですが、先人が考えた思想書として心理学的に読み解けば学べる点が多くあることに気づきました。

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不満の原因は承認欲求であると自覚する

人の目が気になってビクビクしたり、些細なことで怒り出したりする原因は心の反応です。物事に対して、ダイレクトに対処しすぎてしまうのです。

ですが、世の中には辛いことや悲しいことが自分の降りかかってきても、冷静に対処している人がいます。このような人たちとすぐにカッとなってしまう人の違いはなんなのか。

それは承認欲求の差です。目の前の物事に振り回されていない人というのは承認欲求に振り回されていないのです。人の目ばかり気になってしまったり、人の言動にいちいちイライラする原因は、もっと自分を認めて欲しいという承認欲求の裏返しなのです。

ブッタは悩みはまず理解することが大事だと説いています。不要な不満を抑えるには、自分の中の承認欲求の存在を理解した上で「あの人(世間)に認められたところで、それが一体なんなのだ」を考えるようにすることが第一歩となります。

無駄に判断をしない

人は頭の中で無駄な判断を沢山しています。あの人は、優れているとか、劣っているといった意味の無い優劣の比較や、どうせ自分なんてという自虐的な自己評価など、考えたところで気持ちが沈むだけで何のメリットもありません。無駄な判断は、自分の中に偏見を生み出し苦しくなるだけです。

我々が無駄な判断をしてしまう最大の理由は、判断をすることで自分を正当化できるという承認欲求からです。無駄な判断をしないようにするには、自分の心の動きを観察し、判断したことを自覚することが重要です。

無駄な判断を減らすことができれば、無駄な精神力を使うこともないため、心に余裕を持って過ごすことができるのです。

以前、テレビ番組でSMAPの中居正広さんが「多くの人と円滑な人に仕事をするコツは、得意な人を作らないこと。得意な人を作らなければ苦手な人もできない。」ということを言われていました。これは、人の好き嫌いも多分に無駄な判断だとわかっているからだと考えています。

人と比べてしまうのも承認欲求のため

よくネットニュースなどで、年代別の収入の平均とか、結婚年齢の平均などといった記事を見かけます。別に平均と同じだからと言って、良いとは限りませんし、人それぞれ幸せの形は違うはずとわかっていてもついつい目がいってしまいます。

このように比較してしまう心理もまた、承認欲求を満たして安心したいというところから来ています。自分を肯定しきれていないため、比較して安心しているのです。

ですが、実際に自分の収入が平均より上だろうが下だろうが、目の前のことは何も変わりません。本当に年収を上げたいと考えるなら仕事のスタイルについて検討すべきであって、比較しているだけ無駄なはずです。

ただ、人間の心は弱いため、目に入ってきてしまったらどうしても気になってしまいます。禅の教えではこのような場合、そもそも外部の情報に触れないことを教えています。いくら無視しようとしても、人の心は弱いため情報に触れてしまうと反応してしまいます。ならばそもそも情報を遮断することが効果的なのです。

私は朝は絶対にテレビを付けないようにしています。暗い話題で朝から気持ちを揺り動かされたくないからです。

目指すべきゴールは最高の納得

どんなに純風満帆な人生を送っている人でも、全ての願いを叶えることはできません。一見満たされているようでも、何かしら悩みはあるものです。他者に賞賛されたいと過剰な欲求を募らせれば募らせるほど、その悩みは深くなります。

ブッタは「人間はみな、望むようには生きられない現実に苦しんでいる。ならば、その現実に苦しまない心の持ちようを目指そう」と考えていたようです。

人生で目指すべきは、うまく行かないときもうまく行く時も、目の前の現実受け入れることができる最高の納得がある状態です。あくまでも納得するのは自分であって、人ではありません。この部分を勘違いしてしまうと、自分にとっての判断ができなくなっていまいます。

私が人目を気にしすぎてしまうのもこの点に原因がありました。原因をとらえ、視点を切り替えるだけでも随分と気持ちが楽になります。

今日のアクション

仏教は思想書としてみると大変奥が深く、面白いもののようです。2500年も前にこんなことを考えていたというのが驚きです。きっと人間の悩みごとは今も昔もそんなに変わっていないのかもしれません。

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