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「つぶしが効く」という選択が自分を苦しめる

photo credit: Rosato in Three Dimensions via photopin (license)

自分の人生を振り返って、あれがまずかったなと感じることは誰にでもあるかもしれません。俺の人生はこんなはずじゃなかったとか、あの時こうしていればと考えることが私にも多くあります。

そんなとき考えるのは、つぶしが効くという理由で選んだ選択はあとで自分を苦しくすることが多い気がするということ。

私が学生時代に進路などでよく話していた会話は「○○を勉強すれば食いっぱぐれない」とか「つぶしがきく」というような内容が多かった気がします。

もちろん、社会で生きていく以上なんらかの稼ぐ手段が必要なのは間違いないので、その考えは誤りではないのですが、そういう会話している人というのは得てして、「自分はこれがしたい」がすっぽり抜けていることが多い気がしています。

かく言う私自身も、過去を振り返ると「つぶしが効くから理系に行く」とか「仕事があるからITの分野の仕事をする」と言ったような選択の仕方が多かったような気がします。特に私が進路を真剣に考え出えていた時代というのは、バブル崩壊後の就職難の時代であったりもするので必然的にこういう思考になりがちでした。

ただ、一方で本当にそれが自分にとっての最良の選択であったかといえば、う〜んと唸ってしまう気がしています。もっと他にできることがあったのではと考えることも少なくありません。

つぶしが効くという物事の選択の仕方は行き過ぎると「食って行ければ何でもいい」という主体性放棄の極みに陥ってしまい、結果として世の中のトレンドや周囲の意見に振り回されるだけの人生になりかねないと感じています。

年齢を重ねていくと人間は結局は自分でない人にはなれないんだと感じる場面が増えてきます。いくら世の中のニーズがあるから、職探しに困らないからといっても、自分に本質的になじんでいない選択をすればのちのち苦しくなるのだなと感じています。

もちろん苦手を感じることを身につける努力も時には重要なのですが、結局できないことはできないし、出来ても苦しい。最終的に大事なことは、自分の感じることを大事にするという生き方なのです。

今週の気になっている本

私はもの凄いコーヒーを飲む人でして。昔は一日に10杯くらいは飲んでいました。ただ、寝付きが悪いことを気にするようになってからはコーヒーは午前中だけ、午後は飲まないというルールにして、飲む量も一日2杯までにするようしています。

コーヒーって苦いのに何であんなに飲んでしまうのか。コーヒー党の私としても気になるところです。

今日のアクション

最近では、頑張って苦しんで身につけた技術が数年で陳腐化するなんてこともザラなので、結局興味をもっていかに継続的に学んでいけるかが重要なんだと感じています。苦しいことは一時しのぎはできても永続は無理です。

さらには今後は人工知能にとって替わられるなんてことも起こると予想できるので、やっぱり自分がコレと感じたことは多少つぶしが効かなくても、飛び込んでみる姿勢が大事なのかと若い人には伝えたいです。

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