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私を主語とするか、我々を主語とするか[週記]

photo credit: Not all those who wander are lost. via photopin (license)

仕事上のコミュニケーションにしても、プライベートなことに関しても、なんかこの人いっていることずれているなと感じることがあります。

そういうときに感じる原因は、話している人の主語が私になってないときです。多くの場合、本人に自覚はないのですが、所属する組織であったり、集団であったりの見解をそのまま述べているだけで、自分がどう感じているかを一切言っていない。主語が私ではなく、我々になっているのです。

自分が感じていることを言っていないから、地に足がついている感じがせず、説得力も沸いてこないし、共感もできない。ことこういう感じの人が日本には多い気がしています。

そもそも我々という言葉の多用は、話す内容に対する責任の放棄だったりします。あくまでも、我々の意見であって、必ずしも私の意見ではないよと暗にいっている。

個人の責任を放棄するからパワハラ、セクハラ的な行為をすることに対しても鈍感になっていく。私は、今世の中で怒っているこの手の問題は、個人として言動の責任に喪失に由来する部分が大きいのではと感じています。

そして、往々にしてそういう人の話題って、愚痴っぽいことが多いです。知らず知らずのうちに自分の気持ちを封じこめているから、自覚なきストレスがそうとう貯まっているのだと予想できます。

そして、そういう人に「自分はどうしたいの」という質問を敢えてすると、だいたいは「仕方がないから〜」のような自分から主体性を放棄するような言葉を使うことが多い。

実は私自身の数年前までは、こういう言葉の使い方をしていました。言葉は思考を作るというのは本当で、この思考パターンに陥ってしまうといざというときに自分の判断が全くできなくなってしまう。

立場や役割に縛られた生き方はとにかく息苦しいので、まずは自分の話の主語を「我々は」ではなく「私は」に必ずする。これが主体的に生きるということの第一歩だと感じています。

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