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その大丈夫?は誰のために言っていますか?

photo credit: Dirigentens via photopin cc

 

辛そうにしている人に声をかける時に時々一瞬ためらってしまうことがあります。もちろん、気遣っていることを相手に伝えることで相手に安心感を与えることは重要です。ですが、相手を気遣ったことによって、自分を納得させるために言っているとしたら要注意かもしれません。

 

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無理はするな

 

普段は無理はするなと言っている人が、自分が少し追い込まれると途端に傍若無人になったり、無理なんだいを押し付けたりする姿を至るところで目にした事があります。こういう人は結局人を気遣う姿を人にアピールしたいだけか自分を客観視できていないかのどちらかです。

このように書いている私自身、もし自分の許容範囲を越えるストレスの状況下で、それでも人に優しくできるかと考えるともどかしいものがあります。ですが、許容範囲を大きくする努力ならできそうです。

人に優しくなるには自分に余裕がなければ話しになりません。

 

気配りと気遣いは違う

 

日本語の表現は大変難しいので意識し辛いのですが、気遣いと気配りは微妙にニュアンスが異なります。

気配りとは、言葉を発して居なくても自分と関わりのある人に対して常に暖かく見守っている状態です。それに対し気遣いとは、特定の状況下や相手に対して限定的に発生します。例えば、職場で表面的に何も無くても常に部下の様子をみながら気にかけている人は気配りのある人、お客さんにたいしてきちんとした言葉使いができる人は気遣いができる人です。

どちらも重要ではありますが、気配りをするほうが圧倒的に難しいのは間違いありません。気配りにはその場で即応する対応力だけでなく、自分的に状況を観察できる持続力も重要になります。

 

問題は本人しか解決出来ない

 

結局人にアドバイス、あるいは何らかの理由で資金的な援助をするにしても、最終的には本人しか問題は解決できません。

このことをわかってくると、私は人に大丈夫?かという時に考えこんでしまうのです。もちろん人間なので、背中を押して欲しいときもありますし、本当に苦しんでいるのかもしれないです。ですが、本当にそれが自分がフォローできる問題かどうか、口先だけの気休めにならないか怖くなります。

安易な優しさは人を返って傷つけてしまいかねません。

 

今日のアクション

 

重要なのは、普段からの行動だと考えています。声を掛けて「また、口先だけ」と思われるのだけは避けたいです。

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