コミュニケーションで大事なことは言葉に責任を持つ覚悟である

当ブログでは、よくコミュケーションに関する記事を書いています。コミュニケーションの系の記事を書き始めて、気付いたのは案外言葉に関する話題の割合が少ないこと。

メラビアンの法則に言われるように、人間のコミュニケーションは非言語の割合が高く、今まで割と発する言葉に関する記事は少なめです。ですが、人間は言葉の生き物。言葉こそがその人を作っていると言えます。

時にその中でも大事なのは、自分が発する言葉に関する責任を持つことだなと感じるのです。

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コミュニケーションは信頼関係があってはじめて成立する

聴き方、話し方、マナーなど様々なコミュニケーションに関するノウハウが世の中には溢れていますが、結局のところそれらのノウハウが生きてくるのは、バックグラウンドに信頼関係があってのことです。

ではその人に対する信頼感はどこから来るのかを突き詰めて考えたとき、最終的ににはその人が発している言葉の内容と行動が一致しているかに帰着します。いくら良いことを言っていても、言葉だけで実行が伴わないとその人に対する信頼感は生まれません。

私自身、その場のノリや雰囲気に飲まれて発言したことをあとあと後悔するということは多々あります。

言行一致は想像以上に難しい

こういう風に書くと、なんだ当たり前のことじゃないかと考えられるかもしれません。ですが、私の感覚では、言行一致をきちんと考え出すと、言葉を発するのはかなり慎重になるようになります。

別に人を欺こうという意識がなくても、我々は日常で話した何気なくいったことなど忘れてしまうことも多いですし、前の日と考えていることが全く違うということが往々にしてあるからです。

そして、自分の周りにいる人というのは、考えている以上にそういう言動の変化に敏感なものだからです。この人の言葉は軽い。そう感じられたら信頼は生まれません。

個人的な感覚で言えば、私は断言口調で話す人が結構苦手です。自分が絶対これだということにあまり自信がないためか、ついつい世の中にそんなに絶対的なものなんてないよと感じてしまうのです。

常に100%は無いけれど定期的な振り返りは必要

人間の考えていることは常にころころ変わるし、悪気はなくても間違ったこということは人間なので頻繁にあるわけですが、大事なことは発する言葉に対して責任を持つ意識があるかということなのだと考えています。

もちろん、人間のコミュニケーションは信頼の残高で成り立っている部分があり、多少間違ったことを言ってもそれまでの貯金で乗り切れる場合もあります。

ですが、それがいつの間にか発する言葉に無自覚になっているようであれば危険信号です。自分の言葉に責任が持てているかを定期的に自分対して、問い続ける必要があるのだと感じています。

今日のアクション

こういうことを、あまりにも真剣に考え出すと言葉を発するのが怖くなって何も言えなくなりそうです。ただ、この意識があるかないかでも随分コミュニケーションのありようは変わって来るのは間違いないでしょう。

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