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不安が嫌いなのか?それとも不安を解消するために生きているのか

photo credit: Portrait of a young business woman at office via photopin (license)

不安やプレッシャーには弱いほうです。

ちょっとでも見通しが立たないと感じるとすぐに不安で物事が手につかないということがあります。それでも、不安の元となる自分が抱えている課題と向きあって解決に向かい、ある程度見通しが立つと安堵し、また新たな刺激を求め始めます。

ただ、私は最近これではまずいのではと感じるようになってきました。不安があるとき、抱えている課題の種類はあまり関係なく、ただ目の前の不安を解決し、安堵する。そして、また新しいことに不安を感じる。あるいは不安がないと何もないことに不安を感じる。これの繰り返しだけでまるでは何も生み出せないのです。

まるで不安を解決するために生きているように感じています。

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こなしていく仕事の充実感への疑問

ここのところ、少しだけ仕事が忙しくなっていました。職場での役割が変化したことで、今まだやっていなかったことをする必要があり何かと慌ただしかったです。

新しいことに挑戦する場合、未知のことに対する不安やプレッシャーはつきものですが、私はこの感覚があまり好きではありません。

ただ、仕事なので回避することもできず、がっつりと向き合ってある程度見通しが立ってきました。驚いたことにこれによって自分の中に感じた感情は安堵と同時に充実感でした。

正直なところ、取り組んだ仕事内容が必ずしも興味があると言えるような内容のものではありません。やらざらる得ないので取り組んでいる部分が大きいです。

それでも嫌々やっている課題や不安に対して見通しがたったことで、一日の充実度が高まってしまったのです。

こなした!という充実感。私はこれに危機感を感じるようになりました。

取り組んだ内容よりも不安の解決に満足している?

私が危機感を感じている理由は、取り組んだ内容に対する充実度よりも不安なことが減ったということに満足している点です。

要するに何をやっても取り組む内容は割となんでもいいのです。ただ目の前に迫ってくる不安感を解決していけば、それなりに満足出来てしまう状態。

なぜこれが危機感かと言えば、ものの感じ方が全く主体的でないからで、こういうモノゴトの感じ方をしていると、ただ目の前の不安を潰していくだけで一生が終わってしまいそうだからです。

おそらく、不安を感じることと、それをこなすことは私にとってある種、麻薬のようなものになっているのだと感じています。

危機感を行動の起点にすると受け身な人生になる

私の周りには、自分の夢や目標を持って活動している人がたくさんいます。しかし、自分はどうかといえばとてもそうとは言えない。

ここ数年、自分が本当にやりたいことや自分の適正にかなり悩んでいました。これからどうしようと途方にくれたことも数え切れないほどです。

それなのに、いまのところ自分が感じているのは、取り組むことは割となんでもよくて、目の前に降ってくる不安を潰して行ければ良いという状態です。

不安を潰していくことで満足出来る人生は、いつまでたっても受け身の状況を脱することが出来ないと感じています。

ただ、目の前の不安に振り回されて人生が終わりそうで愕然としているのです。

今日のアクション

危機感を行動の源泉にしないためにはどうしたら良いのか、長い間答えを探していますが未だに答えを見つけられていません。

一体自分がワクワクをしながら取り組めることとはどうすれば見つかるのか模索中です。

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